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2002/03/22/(Fri)
avec mon mari
を見た。ずいぶん前に録画したままになっていた。
何故録画したのか、その理由さえ思い出せないほど昔。
で、見てみたら判った。

この映画には俺の好きな人が3人も出ていたのだ。
板谷(コメスタ)由夏&辻(超ラッキー)香緒里の語学コンビ、
それと大杉漣さんだ。
で、意外に面白かったんだ、これが。
珍しくスクリプトがしっかりしてる映画だった。
よく仏映画で、舞台をそのまま映画にしてるものがあるが
これもそんな感じだったね。

このコーナーは評論ではないから
内容については深く書かないが、ま
良い時間をありがとう、とお礼を言いたい感じ。
観終ったあと調べたら、これ結構動員数が有ったらしい。
こんなのが人気が有るなんて、
なかなか日本も捨てたもんじゃねぇな、なんて思った。

それにしても、ちきしょう!
板谷由夏メチャかわいいんですけど。はぅ…。
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2002/03/21/(Thu)
いまさらながら座右の銘なんて
こっぱずかしいが、いつも思っていることはあるな。
ひとつは「誰もやらないなら自分がやれ」これはありがちだね。
もうひとつは、これに関連してなんだけど
「他人にやられるのが嫌なら自分が先にやれ」だ。
これは有名なビートルズのプロデューサー
ジョージマーティン氏が、彼の妻に言われた言葉なんだ。

1977年頃、彼はあるビートルズ関連の仕事を頼まれた。
あまり気の進む仕事内容じゃなかったし、その割には大変だし
どうしようか悩んでたらしいのだ。
その時に妻は
「貴方がこの仕事を受けなければ、他の誰かがやることになるわね。
誰がやったにせよ、貴方はその仕事には絶対満足しないはず。
ならば、貴方がやるしかないんじゃないの?」
…と、こう言ったそうだ。
まぁ妻は、彼にその仕事をさせたかったんだろうが
それにしても見事な決心のつけさせっぷりだと思う。
ビートルズに関しては右に出るものはいない
という存在の彼だからこそ、のエピソードだけど。

アイディアを思い付いた人間には
思い付いた責任というものがあると思う。
たとえそれが人に嫌われるようなことでも
必要とされているなら、やるべきだと思っている。
やるほどの価値があるものか、ちゃんと見極めて、ね。

これは難しいな。でも、やらなあかんな…。
2002/03/17/(Sun)
高中正義と俺
というタイトルで原稿用紙2枚以内の小論文。
これが俺の受けた大学の入試問題だった。

嘘です。

俺は知ってのとおり
高校時代まではビートルズやその周辺、
Zeppelinやブリティッシュプログレを愛するオトコであった。
だがそれは上京してから180度変わった。
ニューミュージックや歌謡曲、
アイドルポップなどを愛する人間になったのだ。
時は80年代。
元ティンパン系やユーミン、ナイアガラ系、オフコース、
聖子ちゃんや堀ちえみ(笑)聴くものには困らなかった。
それらに浸かってみて、ひとつ判ったことがある。
北海道に居たままでは、それらの曲で歌われている状況が
まったく理解できなかっただろうということだ。
例えば
春に桜が咲いて、
卒業や入学シーズンで
出会いや別れがあって…。
こんな当たり前のシチュエーションでさえ
北海道民には理解できない。
その時期には桜は咲かないからだ。
だから、そういう情景や匂い色彩などが
まったく想像つかないのだ。
そしてそれは全ての季節や、情景に言えることだ。

俺は上京してそれらの曲を聴き
初めて全てを理解できたのだった。
これらの歌の内容は
なんとリアリティあるのだろうと
ものすごく感動したのだ。
それからはジャパン・スタンダードを知るのに一生懸命だった。
果たして日本国民はどのように生きてきたのか?
それを知るためにいろんな事を犠牲にした。
過去の友人や、好きだった音楽。
好きだった本、好きだった人…。
その頃の俺にとっては
ポールマッカートニーよりも聖子ちゃんの方が大切だったのだ。

高中氏はかつて伝説的ロックバンドといわれている
サディスティックミカバンドに在籍し、
バリバリのブリティッシュスタイルでギターを弾いていた。
あるとき彼は思ったそうだ。
「もうこんな激しい音楽は嫌だ。たとえば朝起きてすぐ聴けるような
爽やかになるような音楽をやりたい。」と。
はじめてその発言を聞いたときは、
その頃、彼がやっていた
インチキフュージョン音楽のイメージも重なって
ものすごく腹が立ったもんだ。
だが今は、その彼の発言の意味が少し判る。

そうして俺もジョンレノン・コンプレックスから少し解消され
ポールマッカートニーの真の恐ろしさに気付くことが出来たのだった。
2002/03/06/(Wed)
卒業式
高校の卒業式のとき
クラスの代表で卒業証書を受け取る大役を任された。
というか、クラスの話し合いの時間に
「誰かやる人居ない?」と募集してたので
俺がやろうと思って立候補したのだ。

前にもココで書いたが、俺の高校時代は
いったい何だったんだろう?というような3年間だった。
今思えば、そうでもないけれど
その時は、なんだかとっても
時間を無駄にしたような気がしてしょうがなかった。
で「誰か居ない?」と議長が言ってるのを聞いて
「最後くらいは在学した証が欲しいもんだ」と思い
すかさず立候補したのだ。

俺はその頃も、まったくどうしようもない人間だったので
そんな俺がクラスの代表で卒業証書を受け取るというアイディアに
他のみんなも面白がって乗り気になり、すんなり代表になれた。
それからは、クラス名を呼ばれた時の返事をどうするか、とか
面白い格好をしようとか、いろいろ盛り上がった。
ところがその後、卒業式全般の責任者が
学校一恐ろしいことで有名な体育教師であることが判明。
数日後、俺はその体育教師に個人的に呼び出され
「卒業式で何か変な事やったらただじゃ置かねぇからな。ごらぁ!」
と言われてしまう。

こういうことは不意を付いたり意表を突くから面白いのであって
そんなことを予め言われてしまうと、なんだか白けてしまい
すっかり気分が覚めてしまった。
その教師にも、在学中ずいぶん迷惑をかけていたので
なんだか最後くらいは逆らうのも悪いか、と思ったりもして。
まったく小心者ですなぁ。

結局当日は
返事をわざと大声で言うとか、まぁ
それくらいの受けは狙ったかもしれないが
極めてまっとうにクラス代表を務めたのである。

最後の最後まで、そんな高校時代だった。
こんなことならクラス一の大秀才にでも譲ればよかったな。
今さら、そんなこと言ったら、そいつに恨まれるか。

ま、その役のおかげで「卒業した」という
実感があっただけでも良かったかな。
40人分の卒業証書を校長から
直に受け取ったのは、この俺なのだからな。うむ。

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