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2004/03/22/(Mon)
僕にとってのドリフは紅白で終わった
金曜日、電車を待つホームで
なんとなくいかりや氏の事を考えていた。
「最近出ないなぁ。年末の大爆笑も辛そうだったし。」
「次に名前を聞くときはやはり訃報なんだろうか・・・」
と思っていたところだった。

僕自身は家が厳しかったのもあって
ごく幼少の頃を除き、ドリフはほとんど見なかった。
しかし同世代、下の世代への影響力は絶大で、
間接的に僕もかなりの影響を受けている。
僕が自由にテレビを見れるようになったのは
一人暮らしをするようになってからで
つまり僕にとってのドリフは
フジテレビの「大爆笑」と加藤茶なんだね。

友人たちとバンドなどをやるなかでも
やはりドリフネタは欠かせず、
何かというと、場面転換の音楽とか
効果音とか細かいギャグとか、ともかく
ふざけるにはもってこいのネタだった。

こんなドリフネタで盛り上がっているバンドなんて
俺たちだけだろう、と思っていたので
その後、新しいバンドに入って
メンバーの世代が10歳くらい若返ったときに
まったく同じネタで盛り上がっていたのには
かなり驚いたもんだ。
本当に世代を超えていたのである。

というわけで
僕にとっては他人からの影響のほうが強い感があるが
それでもドリフは僕らのバイブルのひとつだったといっても良いだろうね。

その時も書いたが
3年ほど前、ドリフが再集結し
NHKの思い出のメロディに出演した。
あれは本当に感動した。
ネタも面白かったけど、あのNHKに
歌だけではなくコントとして出演していることが
マジですごいと思ったのだ。

ただ、ロックバンドとかの再結成でも感じることだけど
往年の自分たちのパロディを演じているような様子は
なんとなく、寂しいような気がしたのも事実で
これでドリフはおしまいなんじゃないか、という気分さえした。
まぁ「思い出の」メロディなんだから、それで良いのだろうが。
5人揃った姿を見れるのはこれが最後、という感じがすごくしたのだ。

だから紅白出場が決まったときは
「おーー」と思ったもんだ。
まだまだ生き続けてくれるのかもしれないと思ったね。
紅白では歌だけではなく
幕間のコントや聖歌隊なども披露してくれた。
ドリフの全活動の集大成だった。
この後もし誰かが欠けても
誰かが居なくなってしまっても悔いが残らないように
すべてやって見せてあげているという感じだったね。
俺たちに対するメッセージのような気がした。
「もうこれ以上俺たちには何も望むなよ」と。
「お前らの愛したものはこれだ。もう見せたからこれで良いだろ?」
とね。

さっきの再結成の話じゃないけど
往々にして過去の栄光にすがった復活というのは
なかなか期待通りには行かないものだ。
華麗だったロックスターが醜く太ったブタになっていたり
美声がつぶれてダミ声になっていたり
まぁガッカリさせられることが多いもんだ。
だけどこの時のNHKでの一連のドリフ復活は
まぁまぁ楽しめたんじゃないかなと思う。
ハラハラはしたけど、なんとか収まったし。
勢いはないけど、まだ現役ではあるなと感じれるものだった。
と同時に、なんだかほっとしたというか
なんだか満足してしまったというか。
もうこれで新しいドリフは見なくても良いなと思ったのだ。
もちろん見れたら見れたで嬉しいけど
これで、もう二度と再結成がなかったとしても
それはそれで良いや、と思ったのだった。

自分のなかでは
紅白で一旦ドリフは終了した。
そこで完結することができたので
今回のショックも最低限のものに抑えられたのだと思う。
金曜日にホームで見た白昼の予知夢も、
ある意味自分に対する防御作用だったのかもな。
来たる時に備え、最低限のショックに抑えるために
潜在意識が見せてくれた夢、だ。
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2004/03/11/(Thu)
寒かったー
今のうちに引っ越してきたときは
周りが駐車場跡地でまったくの空き地だった。
どこの窓から外を見ても空き地なんで
気分も良かったし、冬もよく日が入り暖かかったのである。
ところが去年の今頃、住宅が経ち始めて
夏頃にはすっかり周りを
相似形の建売住宅で囲まれてしまった。
とはいうものの、センスの悪いデザインでもなかったので
まぁいいか、とか思って看過してたんだけど
そのうち冬がやってきて大変なことになってきたのである。
日がほとんど入らなくなって
家の中じゅう、恐ろしく寒くなってしまったのだ。
これは予想外だった、というか迂闊だったねぇ。
もっと早く気付けよ、と思ったけど
以前はホントに暖かかったので、かなり油断してたのだ。

知ってる人は判ると思うけど
千葉時代の一軒家は本当に本当に寒かった。
冬の朝起きたら部屋の気温が4℃だったという記録がある。
そりゃぁ外じゃねぇえか、ってことなのだ。
北海道では家の中を超暖房設備で暖めてあるのが普通なので
この、部屋の中4℃という記録は自分としても前代未聞の経験。
しかも日が入らなくなると家の中は外の気温よりも寒くなった。
今ちょうどボーカル録音中のビデオを公開してけど
あれもジャケットを着てるけども、
コートを着て歌の録音をしたこともあったほどだ。

そんなこんなで、まぁそれ以来の寒さだったわけだ。
今回の冬は。参りましたよね。
一番ピークはやはり冬至近辺でしょう。
平均気温はそれ以降が低いわけだが、
なんといっても太陽光線の量が関係してるので
高度が低くて光が入らないとまったく駄目なんである。
だから、外はまだ寒くても
1月中旬くらいになって日が長くなってくると
本当にほっとしたというか、安心したな。
このまま3月頃まで続くのか?
一生寒いのではないか、と思ってたからさ。
1月半ばから春の訪れだったわけね。ここでは。

来年からはこれを教訓に気をつけねば。
一軒家時代も大量の暖房器具や防寒グッズを揃えたが
こっちでもまた必要になるかもなぁ。
2004/03/02/(Tue)
ロバートフリップのインタビュー
音楽家はどのように作品を作り
プレイするのだろうか。

14年位前だとおもうけどロキノンに
ロバートフリップの長いインタビューが掲載されていた。
ちょうど紅伝説が出た頃かな。
それのプロモーションだったんだろう。
なんてったってクリムゾン、いや
プログレ音楽の創設者で、伝説のアーティスト
ロック界一の理論家で気難家、
そのうえ日本でこれほどの長時間インタビューは
初めてだというのもあって
かつてないほど気合が入ったものだった。

で、内容はどういうものだったかというと
これがもう、とてつもなく素晴らしく、
今でも僕の中では、かなり重要なポジションに
位置しているものなのだ。

それまでのプログレのイメージ、
あるいはクリムゾンのイメージというのは
神秘的とかファンタジックとか幻想的とか
暗闇とか、そんなものだったと思う。
もちろんプログレにはもうひとつの顔、
楽器達人者の集合体という面もあるのだが
クリムゾンはどちらかというと
前者の面が多かったような気がする。
それには初期のピートシンフィールドの歌詞が
幻想的で判りにかったというのも大きく、
その後のプレグレバンドはその路線を
多かれ少なかれ踏襲したのだ。
そんな流れで、芸術的とか文学的とか
そんなイメージになったんだろうね。

話が長くなったが、つまり
そのように音楽に何かの意味合いを見つけたり
探して見つけ出したりする聴き方が70年代当時は旬で、
インタビューでも、まずそういったことの確認から
入っていったわけだけども
予想を裏切ってフリップ先生、
インタビュアー=リスナーの聴き方を
ことごとく否定されたのである。
「詩の意味?作詞家に聞いてくれ」
「ほかのメンバーの気持ち?それは彼らに聞いてくれ」
「カタルシスは?って・・・。わくわくしただけだが」
「ディスコやダンスミュージックは最高だからやってる」
ほかにも書ききれないほどのお言葉があるのだが
まぁともかく、一つ一つのお答えが
演奏者としての真意を突いており本当に感動したのだ。

インタビュアーは市川何とか言う
プログレ会では有名な方だったが
あまりにも、すべて否定されるので、読んでても
しまいにはかわいそうになってきたくらいだった。

これはロバートフリップの人間宣言だったのだ。
いや、本人ははじめから人間のつもりだっただろうが
リスナー側がそれを自ら見えにくくしてしまっていたのだ。
目が覚めるとはまさにこのことだろうね。
彼も一介のギター弾きに過ぎなかった。
別に何かしら特別な才能があったわけではないのだ。
宇宙のパワーをもらったとか、そんなことないのだ。
ただ、自分自身の可能性を自ら発見し
それを伸ばすべく人並み以上に努力しただけだったのだ。

僕はそれまで、音楽とか芸術は
特別な人間がやるものだと思っていた。
いや、はじめは思ってなかったけど
成長するにつれ、そう教え込まれたり
自分で思い込んだりして、勝手にそう決めてしまったのだ。
でも実はそんなこともないんだと知った。
「あの」ロバートフリップでも
演奏家として感じていたことは
このヘタレな僕と変わらなかった。
音楽は音楽以上でも以下でもなく、
だから音楽を音楽として感じよ、と。

もうひとつ重要なことがある。
彼が言いたかったこと。
それは「答えはここにはないよ」だった。

そのインタビューを読んだあと
僕はずいぶん気が楽になり、
普通に音楽を演奏するようになった。
ただ自分自身が自分として
プレイしたいことをプレイすればいいだけなのだ。
そこに、それ以上の意味などないのだ。
その代わり「音」は研ぎ澄ませよ、と。
そう思ったんだな。

スポンジが不味いケーキってのはどう?
クリームも載ってる具もうまい。
でもかじってみたらスポンジの食感が・・・。
肉の不味いシチューってどう?
スープも具もとてつもなく美味かった。
でも肉をかじってみたら、ありゃりゃ・・・と。

まぁこれはあくまで僕の感覚だけど。
そりゃないだろ、ってことなのだ。

音だけで勝負し続けたフリップ。
本当にすごい。真のオトコだ。

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