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2004/04/19/(Mon)
過去の映像 5
ひそかにアップしてあります。

いったん落としてから見たほうが
安定すると思います。
Realファイルは質は良いともいえませんが
なんといっても小さいのが捨てがたく。
サーバーの容量的のこともあって、
もうしばらく利用させてもらうと思います。
リアルプレイヤー使うのが嫌だとおっしゃる方も
まぁ。ご了承くださいということで。

自分的にはどうかなと思っていたのですが
意外に好評だったので、ひとつ目の
オーヴァーダブ動画はとりあえず残しました。

以下がその解説です。

長くて大変だと思うのですが、
ぜひいつか見てほしいと思っていたので。
ぜひ頑張って見てください。
当時、いろいろあって
これが最後の録音になるかも、と思っていたので
記念にビデオを撮っていたのです。
このビデオが面白いと思うか、
つまらないと感じるかは、意見が分かれるところでしょうけど
まぁともかく、ヴォーカルパートの構築というものは
こういう風にするのだということで。
リアルに感じてほしいわけです(Realファイルだけど笑)。
意外に淡々と、しかし確実に作業が行われるんですね。
この翌日にこの曲が完成し、私の人生が変わってしまいました。
このビデオは私が進化する前の最後の姿なわけです。
ご堪能あれ。


さて新しく増やしたのは
「冷たい夏」練習映像でございます。
99年のライブに当たって過去のレパートリーすべてを
演奏できるよう浚い直したことは以前にも書きました。
その結果殆どの曲を生演奏弾き語りしたわけですが
どうしても一人で演奏するのが困難で
披露できなかった曲があったのです。
そのひとつがこの「冷たい夏」ですね。
コーラスが無いと訳が分からないし、
場が気まずくなると思ったので見送ったわけです。
似たようなタイプの「悲しみのモニカ」は演ったのですが
これはちょっと無理だったかな。
その代わり練習時の映像が残っていたので
アップすることにしました。
演奏はカラオケですが、弾いているピアノは生です。

Big Hornでも同じようなスタイルで
テープを流しながらのライブに
できないこともなかったかもしれませんが
とりあえず生にしようということで
弾き語りスタイルになりました。
実際やってみると面白いかもしれないですけどね。
今は当時より機材も充実しているので
可能になるかもしれません。

というわけで楽しんでください。
2004/04/19/(Mon)
はぁ~
えーと。
更新されております。News!をどんぞ。

なんか体調を崩し寝込んでしまいました。
多忙すぎたかねー。
予定がすべてひと段落したところで・・・
っていうのがタイミングよくてグー。

新記事はいつか書きたいと思っていたことで
これでやっとすっきりしたというのはあります。
自分も間抜けだと思うので
反面教師なり、自戒を込めてなり、
そんな感じのニュアンスで書き下ろしましたのです。

実は5年前に起こった出来事はこれだけではなく
もうひとつあります(書けません)。
自分としてのへヴィーさは
これとそれとで半分半分だと思います。
つまり、どちらかだけのトラブルだったら
ちゃんと対処できたと思うのです。
両方が重なったために、自己崩壊してしまったのだと思います。

でも、ライブ活動の開始とCD製作は、
その問題(ここには書けないもう一つの)を
解決するために行ったことでもあるので
ライブを始めた時点で、ある程度のトラブルも
予想できたことだったんです。
ですが現実はその僕の想像をはるかに超えていた、と。
まぁそういうことでしょうな。

今思うと1999年の
その時空間のうねりと言うか、
すごかったと思う。
人生の中でそんなことがあるんだ・・・
というような。
作り話みたいな一年だった。

あの時僕と出会った人たちも
そういう人が多かったような。

というか常にそういう流れは存在してるんだろうけど
たまたまあの時、僕と時の流れの歯車が合った人が居て
そういうときに人と人は出会うんだろうね。
あれが翌年の出来事だったら
また出会う人は全然違ったのだろう。


と、まぁそういうわけで
その辺にしておこう。
一応近況報告としては
新曲の録音に取り掛かっていると
いう事も付け加えておきます。

あんまり言いたくないんだけどね。
重要な計画は地下で進行するのだ。ふふ。
2004/04/12/(Mon)
すきま ジョージハリスン
すきま ジョージ・ハリスン

いろいろ更新してます。
ジョージのボックスはDVDつき。
良かった。
これ日本発売なし。ひどいです。
日本のビートルズ関連団体の頭の悪さは
30年前から一向に変わりませんね。
スペクターの件といい。
日本の若いビートルズファンがかわいそうですわ。
2004/04/08/(Thu)
ジョンレノンのデモ
ジョンの曲で永遠に終わらない進行の曲を
トリップしながら弾いて歌っている話は前に書いたけど
よく考えると、これはオフィシャルではないのだった。
ジョンのデモは、その曲が正規に発表されたときとは
まだ違っているコードがけっこうあって
それが案外よかったりするんだな。
おれが「お」と思ってギターを手に取りコピーし始めるのは
たいてい、違う進行にハッとさせられるからなのだった。

ジョンのギターは技術的には上手いとはいえないが
彼自身が言っているとおり
頭に浮かんだコードはすべて表現できるようだ。
彼のギターのポジションは絶妙でね。
同じ押さえ方じゃないと、そのコード感が出ないんだな。
まぁでも、俺はそんなのできないから
似た感じにアレンジして自分の進行を決めるわけ。

以前Big Hornで
ジョンレノンはビートルズを引きずっていた、
という話で盛り上がったことがあった。
僕はジョンのほうが引きずっていたと思っていたので
そんな話をしだしたのだが
一般的にはいつまでも引きずっていたのは
ポールだと思われていて
Big Hornでもそういう結論になったと思う。

今思うと、実際に僕が言いたかったことは少し違っていて
ジョンの作風はビートルズ時代からソロまで
一貫して変わらなかった、ということなのであった。
テーマや歌い方は変わるのだけど、
コードとメロディはずーっと同じなんだなと思ったのだった。
同じ人間だからねぇ。そう簡単には変わらないんである。

で、ジョンのデモとか多数聞いて思ったのは
ビートルズというのは、ほかならぬジョン自身だったのだと。
だから彼一人の弾き語りやデモ作品にも
ビートルズそのものの気配を感じ取れるのだと。
そういうことなのであった。

初期のビートルズの楽曲の
ほとんどすべてを造って歌っていた人なんである。
最近の人はピースだとかポールだとかに惑わされて、
この事実を忘れているのだ。

僕も後期の作品のほうが完成度が高いと勘違いしていたので
この事実に気付くのが大変遅れたのだが、
本当にジョンに対して申し訳ないことをした、
と言う気持ちでいっぱいである。

つーわけで、ビートルズを引きずっていた、
というのは適切じゃなかったけど
彼は、その彼自身の作風から逃れることはできなかった、と。
まぁそう言いたかったんだね。僕はね。
2004/04/03/(Sat)
ドリフって
お笑いなんだろうか。
最近追悼番組とかやってるんで
改めて見てるんだけど
ドリフってのはお笑いというより、
パロディミュージックに近いような気がする。
タモリのアルバムとか、僕の高田馬場のテーマとか
そっち方面。
コント全体の間というか、流れというか、
音楽をやっていたものじゃないとわからないような
微妙な空気があって、それが抜群に笑えるんである。

これは一般的なコミックバンドとか
ボーイズものとはまったく違う。
玉川カルテットとか嘉門とかポカスカ(略)
・・・ああいう芸事ものとは違うジャンルだと思う。
ドリフに感じるものはこれとは異なるものなのだ。
バラクーダーのデビューした頃はこれと近い空気があったけど
ほかではあまり見かけないものだな。
(横山ホットブラザーズも少し近いかも)

これは音楽のいじり方というかアプローチが違うんだ。
ちょっと嫌味というか斜めな感じ。
まじめな人を怒らせる、といったら良いのか。
説明が難しいけど。
そんな視点を日常コントに応用したもののような気がする。

大瀧詠一大先生のお笑い系の曲は
どちらかというと先の芸事系な流れと言う人もいるけど
実際どうなんだろうか。
大先生はクレージー研究家だし、その辺は微妙なんだけど。
それでもナイアガラムーン(アルバム)と
ロックンロール退屈男は秀逸だったと思うけどね。
お笑いなのか?と言われると、これもちょっと違う。


初期のドリフのネタで僕が忘れられないのは
加藤茶のタブーである。
これは今思い出してもホントに素晴らしかった。
これのツボは、このネタに持ち込むきっかけにある。
トットコトントン・トトトという例のリズムに
持ち込むためのネタフリ。
これが毎回毎回練られていて実に面白かったのだ。
あるときは闘牛のドラムロールから。
あるときは甲子園の入場行進マーチから。
ベタだが葬式のお経の木魚のリズムから。
オルゴールの音色がタブーのメロディだったという秀逸なものもある。
来るな?と判っていても、加藤茶の絶妙な登場の仕方もあって
毎回大爆笑だったのだ。
世間では「ちょっとだけよ」というオチの部分だけ
取り上げられて流行ったが、ここだけでは
このネタの爆発力は10分の1くらいに減ってしまう。
サビだけしか歌わない曲みたいなものなのだ。

大爆笑とかに時代は変わっても
その使われている音楽とかが絶妙だったのは
先日書いたとおり。
僕たちは皆これを演奏してたのだ。
面白い音の出る物品に目ざといのも
この影響が大だな。
今でもナベとか釜とか、ともかくなんでも
叩いてみて音を確認する癖は、この影響があるんだろう。
ファミレスとかでトレーをひっくり返したり
誰かが物を落としたり
そんなことに今でも爆笑してしまう。
セサミストリートとか昔の英米のコメディにも
こんなのがよくあったから
これも元はあっちからの流れなのかもな。

まぁともかく。
僕の感覚ではドリフは
お笑いとかコントとかその範疇とはちょっと違う、と。
だから
その世界であまり受け入れられないのは当然だし、
またそれで良いと思う。

ドリフというジャンル。そういうことだろか。
ツボが合ったとしか言いようがないな。
そのツボに合った人が全国に多数いる、と。

すごいやね。
2004/03/22/(Mon)
僕にとってのドリフは紅白で終わった
金曜日、電車を待つホームで
なんとなくいかりや氏の事を考えていた。
「最近出ないなぁ。年末の大爆笑も辛そうだったし。」
「次に名前を聞くときはやはり訃報なんだろうか・・・」
と思っていたところだった。

僕自身は家が厳しかったのもあって
ごく幼少の頃を除き、ドリフはほとんど見なかった。
しかし同世代、下の世代への影響力は絶大で、
間接的に僕もかなりの影響を受けている。
僕が自由にテレビを見れるようになったのは
一人暮らしをするようになってからで
つまり僕にとってのドリフは
フジテレビの「大爆笑」と加藤茶なんだね。

友人たちとバンドなどをやるなかでも
やはりドリフネタは欠かせず、
何かというと、場面転換の音楽とか
効果音とか細かいギャグとか、ともかく
ふざけるにはもってこいのネタだった。

こんなドリフネタで盛り上がっているバンドなんて
俺たちだけだろう、と思っていたので
その後、新しいバンドに入って
メンバーの世代が10歳くらい若返ったときに
まったく同じネタで盛り上がっていたのには
かなり驚いたもんだ。
本当に世代を超えていたのである。

というわけで
僕にとっては他人からの影響のほうが強い感があるが
それでもドリフは僕らのバイブルのひとつだったといっても良いだろうね。

その時も書いたが
3年ほど前、ドリフが再集結し
NHKの思い出のメロディに出演した。
あれは本当に感動した。
ネタも面白かったけど、あのNHKに
歌だけではなくコントとして出演していることが
マジですごいと思ったのだ。

ただ、ロックバンドとかの再結成でも感じることだけど
往年の自分たちのパロディを演じているような様子は
なんとなく、寂しいような気がしたのも事実で
これでドリフはおしまいなんじゃないか、という気分さえした。
まぁ「思い出の」メロディなんだから、それで良いのだろうが。
5人揃った姿を見れるのはこれが最後、という感じがすごくしたのだ。

だから紅白出場が決まったときは
「おーー」と思ったもんだ。
まだまだ生き続けてくれるのかもしれないと思ったね。
紅白では歌だけではなく
幕間のコントや聖歌隊なども披露してくれた。
ドリフの全活動の集大成だった。
この後もし誰かが欠けても
誰かが居なくなってしまっても悔いが残らないように
すべてやって見せてあげているという感じだったね。
俺たちに対するメッセージのような気がした。
「もうこれ以上俺たちには何も望むなよ」と。
「お前らの愛したものはこれだ。もう見せたからこれで良いだろ?」
とね。

さっきの再結成の話じゃないけど
往々にして過去の栄光にすがった復活というのは
なかなか期待通りには行かないものだ。
華麗だったロックスターが醜く太ったブタになっていたり
美声がつぶれてダミ声になっていたり
まぁガッカリさせられることが多いもんだ。
だけどこの時のNHKでの一連のドリフ復活は
まぁまぁ楽しめたんじゃないかなと思う。
ハラハラはしたけど、なんとか収まったし。
勢いはないけど、まだ現役ではあるなと感じれるものだった。
と同時に、なんだかほっとしたというか
なんだか満足してしまったというか。
もうこれで新しいドリフは見なくても良いなと思ったのだ。
もちろん見れたら見れたで嬉しいけど
これで、もう二度と再結成がなかったとしても
それはそれで良いや、と思ったのだった。

自分のなかでは
紅白で一旦ドリフは終了した。
そこで完結することができたので
今回のショックも最低限のものに抑えられたのだと思う。
金曜日にホームで見た白昼の予知夢も、
ある意味自分に対する防御作用だったのかもな。
来たる時に備え、最低限のショックに抑えるために
潜在意識が見せてくれた夢、だ。
2004/03/11/(Thu)
寒かったー
今のうちに引っ越してきたときは
周りが駐車場跡地でまったくの空き地だった。
どこの窓から外を見ても空き地なんで
気分も良かったし、冬もよく日が入り暖かかったのである。
ところが去年の今頃、住宅が経ち始めて
夏頃にはすっかり周りを
相似形の建売住宅で囲まれてしまった。
とはいうものの、センスの悪いデザインでもなかったので
まぁいいか、とか思って看過してたんだけど
そのうち冬がやってきて大変なことになってきたのである。
日がほとんど入らなくなって
家の中じゅう、恐ろしく寒くなってしまったのだ。
これは予想外だった、というか迂闊だったねぇ。
もっと早く気付けよ、と思ったけど
以前はホントに暖かかったので、かなり油断してたのだ。

知ってる人は判ると思うけど
千葉時代の一軒家は本当に本当に寒かった。
冬の朝起きたら部屋の気温が4℃だったという記録がある。
そりゃぁ外じゃねぇえか、ってことなのだ。
北海道では家の中を超暖房設備で暖めてあるのが普通なので
この、部屋の中4℃という記録は自分としても前代未聞の経験。
しかも日が入らなくなると家の中は外の気温よりも寒くなった。
今ちょうどボーカル録音中のビデオを公開してけど
あれもジャケットを着てるけども、
コートを着て歌の録音をしたこともあったほどだ。

そんなこんなで、まぁそれ以来の寒さだったわけだ。
今回の冬は。参りましたよね。
一番ピークはやはり冬至近辺でしょう。
平均気温はそれ以降が低いわけだが、
なんといっても太陽光線の量が関係してるので
高度が低くて光が入らないとまったく駄目なんである。
だから、外はまだ寒くても
1月中旬くらいになって日が長くなってくると
本当にほっとしたというか、安心したな。
このまま3月頃まで続くのか?
一生寒いのではないか、と思ってたからさ。
1月半ばから春の訪れだったわけね。ここでは。

来年からはこれを教訓に気をつけねば。
一軒家時代も大量の暖房器具や防寒グッズを揃えたが
こっちでもまた必要になるかもなぁ。

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